2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

安部公房『第四間氷期』

酔っ払ってよんでたらぜんぜん頭に入らなかったので読み直した安部公房『第四間氷期』、構造的には『燃えつきた地図』なんかと似てるなぁという印象・

小堀杏奴『朽葉色のショール』

みつけてびっくりして、ちびちび読んできた小堀杏奴『朽葉色のショール』読了。荷風や太宰のこと。

平田由美『女性表現の明治史』

平田由美『女性表現の明治史』、他にもいろいろ書いたものがまとまってるとよかったのにぃ。

篠原資明『言の葉の交通論』

U・エーコの訳者による、シャープな詩の読解、篠原資明『言の葉の交通論』。

DDホフマン『視覚の文法』

DDホフマン『視覚の文法』は、乱読と言うより、「みた」というのが正確、とにかく錯覚の図がたくさんあっておもしろかった。

大江健三郎『小説のたくらみ、知の楽しみ 』

大江健三郎『小説のたくらみ、知の楽しみ』を、引用論として読み直し、やっぱり「パフォーマンス」という言い方を使っていて、それも、言葉の、ってことで、意を新たにしたのであつた。

ロラン・バルト『ラシーヌ論』

ロラン・バルト『ラシーヌ論』を、フランス語の読めない僕には待望の渡辺守章訳で読む。おおよそ断片的なことは聞き知っていたのだけれど、記述は、思ったより、コンスタティブな印象。しっかし、解題長いな〜

ロラン・バルト『批評と真実』

夏に出たロラン・バルト『批評と真実』を、意味なく朝5時に起きて蒲団で読む。「小さな主著」とはよくいったものです。このあとはもちろん新しくて古い新刊ふたたび『ラシーヌ論』へ!

大江健三郎『小説の方法』

大江健三郎『小説の方法』、どうしても同時代ライブラリー版が自室から発掘されないので、地元の図書館で読んできました。小説の書き手としての自己提示としての文体それ自体が、内容以前に「小説の方法」を語っているかのよう。 * この手の本で面白いもの…

佐藤亜紀『小説のストラテジー』

これ、悩んだのだけれども結局新刊で買いました、佐藤亜紀『小説のストラテジー』。シャープで面白かった、アホな作業についてはきっちりその不毛さを指摘していて、なかなか勉強になりました。

後藤明生『笑いの方法』

作家の方法論(?)を読んでます。まずは後藤明生『笑いの方法』を懐かしの福武文庫で、内容以前に文体そのものが「方法」を示しているようです。

李孝徳『表象空間の近代』

李孝徳『表象空間の近代』を数年ぶりに再読、小谷野敦が正しく、かつ、口汚くののしっているのが、見事に的を射ているような、そして、駒場「優等生」の修論サンプルとして、年々価値を減じていく本なのかも知れません。

荒井信一『歴史和解は可能か』

荒井信一『歴史和解は可能か 東アジアでの対話を求めて』、今や生ものでしかなくなったアブナイテーマを、少し前とはいえかくもコンスタティブに語りうることに驚きました。最終章の「言葉」をめぐる議論の説得力はそれゆえのものでしょう。 * 今日職場で手…

豊崎光一『文手箱』

豊崎光一『文手箱』の追悼文から一節を。「私たちがこれからバルトを読むことは、その「思想」(イデー)を抽出=抽象することではなしに、そのような「歌」を聴きとることでなければなるまい。」

宇佐美毅『小説表現としての近代』

宇佐美毅『小説表現としての近代』は、タイトルに恥じぬ名著、特に前半がたいへん勉強になったのである。そして、『明治文学全集16』がほしくなる…

武田勝彦『比較文学の試み』

たいへんはばばひろく流通している武田勝彦『比較文学の試み』を拝読。冒頭がもっとも面白く、日本における「比較文学」の系譜学などやったら面白かろうと思うが、思っただけで終わるのである。あったら読みたいけど。

沢木耕太郎『オリンピア ナチスの森で』

沢木耕太郎が読みたかったわけではまったくないのですが『オリンピア ナチスの森で』を読みました。レニのこと、すぐに川村毅の過去の栄光のような戯曲を思い出しました。

後藤明生『謎の手紙をめぐる数通の手紙』

後藤明生って、急に読みたくなるのですが、『謎の手紙をめぐる数通の手紙』も期待以上の面白さ。特に、最初と最後の作品を、たいへん饒舌なその語りにのせられて楽しみました。

『比較文学の理論』

講座物の理論編『比較文学の理論』、某有精堂の類書よりは、こちらの方がよく、カツ、最後の座談会が面白い。

鈴木貞美『日本の文化ナショナリズム』

鈴木貞美『日本の文化ナショナリズム』、なんというか、書けと言われたら書けないけど、読んでもどうってことないような、…

寺山修司『寺山修司幻想劇集』

『寺山修司幻想劇集』を読みました。なんというか、いたずらに鬼才扱いするより、このあくなき反復の根源をゆっくり考えてみたいものです。

堀江敏幸『いつか王子駅で』

堀江敏幸のは文庫でどんどん読みたいと想う。『いつか王子駅で』は、シンプルだけど味わいのある堀江流の小説が、物語内容/文体をまたぐように成立していて見事。

古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート』

古川日出男デビューを、『二〇〇二年のスロウ・ボート』で果たす。イヤでもキライでもないけれど、すごく好きという感じではない模様。

桜井哲夫『可能性としての「戦後」』

戦後のことをここ数年考えているのにマークし漏れていた桜井哲夫『可能性としての「戦後」』を慌てて読む。なんというか、1994年という刊行年の前でも後でもないことで成立している議論だという印象を受けました。

中村三春『修辞的モダニズム』

夏の積み残し(罪残し?)中村三春『修辞的モダニズム テクスト様式論の試み』をようやく読み終える、いつもながら大変触発される。意外と?具体的でもあるし。

枝川昌雄『クリステヴァ テクスト理論と精神分析』

よくわかんないけど、苦労して買った枝川昌雄『クリステヴァ テクスト理論と精神分析』を、クリステヴァの翻訳を乱読しながら読むそんな1日。

榊敦子『行為としての小説』

もう10年たっているのに驚きながら榊敦子『行為としての小説』を読み、以前と左程変わらぬ印象をもつ。中では『雁』のところが買い、かなぁ。

『映画女優若尾文子』

ずっと気になっていた『映画女優若尾文子』を、溝口健二@恵比寿にあわせてようやく読む。『祇園囃子』も素晴らしく、書物も前半のオマージュはそれはそれで心地好い。

U・エーコ『物語における読者』

数年ぶりにU・エーコを読んだかも、『物語における読者』。にしても青土社の新装版は、本当に綺麗ですきです。

正宗白鳥『「新」に惹かれて』

正宗白鳥『「新」に惹かれて』でもやっぱり白鳥で、「新」という感じはなくて、「夜の靴」なんかを思い出しながら読む。