2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧
佐藤泉『戦後批評のメタヒストリー』再読、思ったより前に出ていたことと、短期間で書かれたものであることを再確認。イロニーの宛先についての議論を興味深く読む。
小田嶽夫『魯迅伝』は、そのまま魯迅伝なのである。エッジのきいたものの多い中で、なんというか、ソフトな印象があります。
猫田道子『うわさのベーコン』、文字通り、驚愕の文体・物語。 「私は耳が聞こえない事を母親に言うと、私を耳鼻科に連れてって、耳の手術を受けさせました。お陰様で耳は、すごくと良く聞こえる様になりました。」
栗原彬編『身体の政治技術』、やはり後半よりは前半を面白く読む。ブルデューはここでも面白いのであつた。
何度読んでも面白い安岡章太郎『私説聊斎志異』を、「聊斎私異」「私の新体制」などとあわせ読む。
あ〜、久々にこの手の本読んで、集中力がまとまる前に、ページだけ読み進めてしまいました。A・バディウ『聖パウロ』、介入をめぐるラディカルな評伝?
古川隆久『皇紀・万博・オリンピック―皇室ブランドと経済発展』。文化でも政治でなく、経済原理を十五年に見出す、連携の力学の見事なてっけつ!
おるおる、新関良三『シラー 生涯と著作』の文末は「おる」うーむ、時代。
サザンシアターで見たのは、何年前でしょう… 井上ひさし『人間合格』、ルビ表記も面白いが、私は大高洋夫でみたので、やはり風間杜夫ってのはみてみたかったです。
息も絶え絶えの岩波文庫でシング『西国の伊達男』通読、確かに滅茶苦茶なのである。アイルランドは謎が多い。
2週間くらい読もうと思って机に積んであったロラン・バルト『物語の構造分析』を、ようやく読む。そうです、ブンガクは《紙の存在》です。
要するに、あまりにも高橋源一郎がほめるので読んだ荒川洋治『詩とことば』なのですが、内容も文章もとにかく素晴らしいのでびっくり!
木下長宏『思想史としてのゴッホ』を通覧して、改めて『白樺』のすごさを思い知る。
佐藤泉『国語教科書の戦後史』はなんとなく、NHKのものと同じような印象、もっと鋭角な時の方が面白いですね。
ようやく、青野季吉『佐渡』読了。「佐渡人」による「佐渡」のいろは、ってところでしょうかね。
文化研究の流れの中で最近こうした仕事増えてるけど、清水晶『戦争と映画』は制度とコンテンツの内容を、同時代人として描き出していく先駆的な良書。
倉石信乃『反写真論』、クスリで朦朧としながらも電車で通読。この状態のおかげで、内容はますます読めないが、文体はするする入ってくる。これいかに。
日比嘉高『〈自己表象〉の文学史』、ひさびさに読み返し、思いの外形式的な分析に終始していたことを今さら確認。あと萱野二十一にふれてた、忘れてた…
西山哲郎『近代スポーツ文化とはなにか』、なるほど、どのような領域にもこういう人がいて、パイオニアとして活躍しているものだと妙に納得。
クスリの眠さに抗いながら、ロラン・バルト『零度のエクリチュール』を読み直して、「記号学」について考えてみる、でも眠い。
『太宰治 その終戦を挟む思想の転位』、薄い割りにちゃんと読むとずいぶん時間がかかりました。メラノビッチ氏に大受け。
平田オリザ『転校生』、こんなに女子高生がみんなまじめだったら楽なのにね。
部屋から『図説太宰治』を発掘して、丹念に読む。なかなか、っていうか、とっても、よくできていて、ひとしきり感心してしまう。
思いの外入手に手間取った上村忠男『歴史家と母たち』を、無料の市内バスの中で読み終える。「表象と真実」がやはり1番興味深いエッセイでした。
村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』を久しぶりにじわじわ読む。今回は、「タイランド」が1番身にしみました。
大変楽しみにしていて期待して読んだ山口庸子『踊る身体の詩学』ですが、序論を除いては、やや期待はずれ。文学テクストを扱うという時点で、対象は言説ですからね、序論よりもずいぶんと文学に拠ってしまった印象。
須貝千里『〈対話〉をひらく文学教育』、冒頭の教室の描写が、あまりになまなましくて、それだけでも読んだ価値(?)がありました…
瀬川裕司『美の魔力 レーニ・リーフェンシュタールの真実』拝読、うわ、仕事こまか! こりゃすごい、「真実」というサブタイトルにも納得。
古書で安かったので買ってしまった筒井清忠編『西條八十と昭和の時代』ですが、中味うす… インタビューとか、価値はあるんでしょうけれど。
平井正『レニ・リーフェンシュタール』、映像の記述であんなにページ稼ぐのってあり〜?と思いつつ、なぜかストーブのガンガンたかれた体育館で読了。