2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

プレスナー『ドイツロマン主義とナチズム』

プレスナー『ドイツロマン主義とナチズム』、ま、確かに書かれた時期を考えると、驚愕の書物。

『文化の将来』

『文化の将来』は、戦後の本だと思って買ったら、まだまたいでませんでした。河上徹太郎がつっぱしってるのですぐわかった(苦笑)

谷川徹三『文化論』

谷川徹三『文化論』、戦後の講演、反復される主題がその需要のひろがりを彷彿とさせるようでもある。

高橋源一郎『ニッポンの小説』

連載でもポツポツ読んでいた高橋源一郎『ニッポンの小説』を、その文体にあわせて、じわじわ読む(まじで、速読不可能!) またしても、さまざまに勉強になり、そしていつものように、言及された多くの詩や小説を読みたくなりました。

茨木のり子『詩のこころを読む』

茨木のり子『詩のこころを読む』は表題にたがわぬ書物で、アンソロジーとしても大変よくできている。

飯吉光夫『パウル・ツェラン』

詩集より先に読んでしまうのは、反則なのでしょうけれど、私らしくもあり… 飯吉光夫『パウル・ツェラン』、読了。

徐京植『プリーモ・レーヴィへの旅』

自家薬籠中の旅行記のスタイルによる徐京植『プリーモ・レーヴィへの旅』、たいへんすぐれたレクチャーにして、思考・想像力の源泉でもあります。

渡辺哲夫『二〇世紀精神病理学史』

渡辺哲夫『二〇世紀精神病理学史』、以外の内容、水準も意気も高く、非常に勉強になりました。

ジョン・J・マカルーン『オリンピックと近代 評伝クk−ベルタン』

ジョン・J・マカルーン『オリンピックと近代 評伝クk−ベルタン』という大著を、写真の多さに救われながら読み通す。柴田さんが翻訳というのが今となってはずいぶん意外。

高見順『死の淵より』

しばらくぶりの再開は、高見順『死の淵より』から。散文的ではあるけれど、詩集ということで、ただ、どうしても作者の状況を入れて読んでしまいますね。

プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』

プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』、はじめて読みました。文体に実に様々なものが凝縮されており、小さな本であるにもかかわらず、とても時間がかる、というか、速く読むことを妨げる文体・思考でした。「描写」といえばそうなのですが、…

崎山政毅・田崎英明・細見和之『歴史とは何か』

崎山政毅・田崎英明・細見和之『歴史とは何か』を買って、再読。性急に「解」を求めていたような気のする前回とは異なって、あるいは時間的な距離が出来たからかも知れませんが、じっくり読むことが出来た感じ。

檀一雄『小説太宰治』

思い立って檀一雄『小説太宰治』を読む。解説の熱さもさることながら、本文も熱い。ある時期を集中的に書いているので、なんとなく生涯をカバーしたようなふしぎな印象をもたされました。

清水諭編『オリンピック・スタディーズ』

清水諭編『オリンピック・スタディーズ』、よくもわるくも、「文化政治学」をこよなく(用法違うけど、押し通す)愛した論考の集成。文献も充実で、実に実用的(これもダメ?)。

大石芳野『「夜と霧」をこえて』

大石芳野『「夜と霧」をこえて』、だからやっぱり、シンドラーのような「物語」をとらないと、体験談にいくしかないという、このモチーフの困難さがそのアプローチのステレオタイプが物語っているようにも思うのです。

鵜飼哲+高橋哲哉編『『ショアー』の衝撃』

フィルムをみてないので、いささかあれなのであるが、鵜飼哲+高橋哲哉編『『ショアー』の衝撃』、なんというか、今読むと発言が全て想定内に見えてしまうのはこれいかに?

ソール・フリードランダー編『アウシュヴィッツと表象の限界』

やっと、読める段階に。ソール・フリードランダー編『アウシュヴィッツと表象の限界』、当初に述べられてもあるように、いささか一般化しすぎた理論平面での議論のあり方それ自体を、まずどう捉えるかから難しいです。

多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』

多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』、例の続編のようでいて、ずいぶんとテイストが異なる。らくに楽しいとは言えないけれど、やっぱり読み出すと面白いのです。

三島由紀夫『鹿鳴館』

三島由紀夫『鹿鳴館』を、「ただなのにグリーン車」の2階で読む、なかなか心地好く、美文もするすると体に入ってくるのでした。つくとちょうど読み終わり、これもまたよし。

大谷晃一『生き愛し書いた―織田作之助伝』

大谷晃一『生き愛し書いた―織田作之助伝』、このタイトルは当の伝記それ自体にも捧げるべきもののように思いました。

徳田秋声『黴』

いつでも読めると思ってるといつまでも読み終わらない徳田秋声『黴』を、あらだらよんできてようやく終わる。どこで終わったもよかったのかもしれませんが。

織田作之助『夫婦善哉』

某和菓子店の、たんばの大きな小豆の缶入り善哉を食べたら読みたくなったという、凡庸この上ないチョイス。織田作之助『夫婦善哉』、ちょっと、酔うと読めないよね、この文章は。すげえ

花田清輝『近代の超克』

花田清輝『近代の超克』、まったりした昼間の時間に読んだのですが、そのレトリックを辿るには、いささかこちらが緩慢な感じのまま読み終えてしまう。