散文的に読む『ランボー全詩集』

自分がきわめて散文的な人間であることは自他共にみとめるところでもあるのですが、いきさつがあって『ランボー全詩集』(青土社)を、やはり散文的な仕方で「通読」する。訳は、平井啓之湯浅博雄、中地義和のお3方。何より驚いたのは、借りてきた本なのですが、大部であるにもかかわらず、ずいぶん書き込みなどがあって多くの人が手に取っていたであろう点。僕は「酔い痴れた船」に目をとめ、意識していなかったけれど、逆に小林秀雄によるランボーの訳に少なからぬ影響を受けていたことを発見。書物としても、デッサンや解説、注なども充実して貴重なものなのであろうけれど、僕はやはり散文的に通りすぎていく。訳者は異なるのですがちくま文庫があったことを今知る…

とある探偵ドラマを何の気なしにみてたら、太宰治走れメロス」が「友情の物語」として引用=消費されているのを目撃してしまう、ははは。