山田登世子『モードの帝国』

山田登世子『モードの帝国』、読みました。最近のちくま学芸文庫は、なんかすさまじいですね。もえます! 山田登世子さんは、何と言ってもセルトーの『日常的実践のポイエティーク』の訳者として印象深いのですが、どこかでさらりと男性批判をしていたのをスマートだと感心した記憶があります。本書もまた、鷲田清一さんの仕事などを彷彿とさせつつ、ズブでいくのでもつっぱるのでもなく、しなやかにモードを読み解いていく様は芸術的ですらあります。しかも、引用されたソニア・リキエルなんかの本も読みたくなるという良書ぶり。

中身とパッケージのあいだのディスプロポーション──そこにこそ、モードの果てしない戯れが成立する。モードは不実な裏切者なのだ。欲望を誘いだしたうえでそれをはぐらかす。モードはいつも「実のない」表層からできているのである。このディスプロポーションがなければ、そもそもモードという現象は存在しえない。