三島由紀夫『鹿鳴館』

三島由紀夫鹿鳴館』を読み、水谷八重子と当世団十郎の松竹版を映像で見たのだけれど、やっぱり、ああいうキャスティングが映える戯曲ですね。言葉の解釈/領有をめぐって、最後まで闘争が続き、だから、出来事としての信頼や裏切りよりも、それをどう位置づけるかという言葉の洋装が読みどころかと。もちろん、上演をみるとなればまた別なのだろうし、これを劇団四季がやると〔以下略〕